計算尺の歴史
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ヘンミ計算尺の歴史と沿革
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計算尺の歴史は大変古く、その基礎は17世紀昔から始まります。当時、航海には星の位置に関する膨大な計算処理が必要とされ、これを解決する為に当時の数学者や天文学者たちが研究を続けて生まれた思想がいわゆる「対数原理」でした。計算尺は様々な経過を辿り、歴史を刻んで行きました。
→年表は右スクロールにてご確認ください。
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イギリスの天文学者エドマンド・ガンターが対数尺度を発表。
この上にコンパスを当てて計算したものが「ガンター尺」といわれ、航海上の計算に使われたのが計算尺の始まり。
内務省土木課長近藤虎五郎と工学博士広田理太郎がドイツ製マンハイム型計算尺を日本に紹介。
逸見治郎が計算尺の製作研究に取り掛かる。
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逸見治郎 Jiro Hemmi
1878-1953
ヘンミ計算尺の生みの親。東京神田生まれ。13才の時に中村測量計器製作所の目盛り工となる。職人気質でマンハイム計算尺のコピー製作依頼が来た時には当時日本一の目盛り工といわれていた。日本は四季ぞれぞれ気候が変化し、特に夏季の温度・湿度が高いことから計算尺の全長や分長が変化してしまい目盛りが狂ってしまう為、桜・黄楊・花梨・マホガニーなどの材質で試行錯誤を繰り返した。
日本固有の竹材「孟宗竹」を使用した、竹製の計算尺が完成。
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孟宗竹 Moso-chiku
孟宗竹は九州の宮崎や鹿児島などで契約栽培された高さ15~20メートル位、
人間の目の高さの胴回り45cm、肉の厚みが1cm程度の竹。
第一次世界大戦により、それまで世界標準だったドイツ製計算尺の生産が途絶えると国内外を問わず計算尺の注文が激増。そこで独自の機械切刻法を案出し大量生産方式を採用した結果、日本製バンブー計算尺として広く名声を博す。
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大倉 龜が逸見治郎商店に経営参加。
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大倉 龜 Hisashi Okura
1892-1960
ヘンミ計算尺㈱の創業者。熊本県生まれ。 明治政府の内閣閣僚大塚家に生まれ、東京大学法学部を卒業後、京都・伏見の酒蔵「月桂冠」の長女の婿養子となる。逸見治郎商店に経営参加した大倉龜は海外需要に応えて積極的に輸出推進を図り、海外の有名な計算尺に匹敵するものを開発するよう指導した。また、研究部門を開設してからは日本独自の計算尺開発にこだわった。
合資会社「逸見製作所」を設立。
両面型計算尺(ユニバーサル計算尺)を「SUN」の商標で販売開始。
ヘンミ計算尺株式会社に社名変更。(戦時中は零戦の設計にも当社の計算尺が使われた。)
「全日本計算尺競技大会」開催。
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この頃、年間100万本を出荷していた。計算尺の最高級品といえばヘンミ計算尺といわれ、給料に匹敵するくらいの高価な値段がついていたものもあった。また、輸出も貴重品扱いにされ、船ではなく飛行機で行っていた。同年完成された東京タワーの設計にも使用された。
本社を渋谷区猿楽町から千代田区神田駿河台に移転。
ヘンミ計算尺のシェアが日本で約98%、世界では約80%を占めた。
ヘンミ計算尺は約80年もの間、国内外を問わずにヒット商品となりました。
電子部品部門稼動開始。
電気計測部門稼動開始。
東松山工場完成。
リチャード・ギア主演映画「愛と青春の旅だち」に当社の計算尺が登場。
東松山工場増築、クリーンルーム設置、美里工場完成。
トム・ハンクス主演映画「アポロ13」に当社の計算尺が登場。
ISO9001取得。
美里工場増築。
和光開発センター開設。
ISO14001取得。
和光開発センターを美里に統合。
スタジオジブリ長編アニメーション「風立ちぬ」に当社の計算尺が登場。
台北支店(日商逸見計算尺股份有限公司台北分公司)開設。
株式会社堀場エステックと半導体材料用液体材料供給装置に関して共同で製品開発を行うことを合意。
創業120周年。
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マスフローコントローラ HM5500シリーズをリリース。